あの渋沢栄一をして「無学の偉人」と言わしめた、三井財閥中興の祖・三野村利左衛門とは? (5/5ページ)

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文字はひらがなしか読めなかった利左衛門は、バンクを訳すのに、アメリカの銀行条例の翻訳作業をしていた渋沢栄一に相談したと言います。江戸時代までバンクと似た業務を行う職業として両替商がありましたが、バンクの扱う業務は他に兌換紙幣の発行、為替の取り扱い、債権や出資の引き受け、預金まで幅広く対応していました。

そこで、アメリカの銀行法を勉強していた渋沢栄一は「バンク」を意味する適切な言葉として、中国の古典を元に、「外国との交易を行う会社」を意味する「洋行」から「行」の字のみを取り、それに「金」を加え「金行」ではどうかと提案しました。

これはバンクが扱う兌換紙幣は紙と金を交換するものであることが根拠となっていますが、利左衛門は紙幣で交換できるのは金だけでなく銀も交換できると指摘したところ、渋沢は悩んだあげく「銀行」という造語を作ったと言います。

利左衛門の功績は銀行創設に始まり、呉服業の分離、三井物産の創設、明治政府への資金援助等、多岐にわたる活躍をしましたが、明治10年(1877)、三井銀行開業式典に出席することなく、この世を去ります。

元は浪人であった者がその才覚と人柄でのし上がり、後の三井財閥の礎を築くための功労者となったのは、まさに幕末明治維新という時代の転換期が生んだ偉人であることを表しているのではないでしょうか。

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