美しすぎる横顔…明治時代「社交界の華」として活躍した陸奥亮子の苦難と夫婦愛 (3/7ページ)

Japaaan

志士時代の宗光(陽之助)。日本の未来を切り拓くべく、時には白刃も潜り抜けた。Wikipediaより

明治維新が成った後は兵庫県知事や神奈川県令、地租改正局長などを歴任するも、薩摩・長州による藩閥政治(政権の私物化)に憤り、官職を辞していたのです。

「これからは、薩摩だ長州だ、官軍だ賊軍だなどと言わず、すべての日本人が一致団結して欧米列強に立ち向かわねばならぬ。そのためには、みなが主体性をもって政治に参加できる体制を作らねばならぬ!」

亮子はそんな宗光の高い志と情熱に惹かれたのでしょう。時に亮子は17歳、宗光は29歳。一回りも違う歳の差婚ですが、日本の未来を切り拓く志にあふれた宗光の魅力は、それを埋めて余りあるものでした。

離れ離れの日々

結婚の翌明治6年(1873年)には長女の清子(さやこ)も生まれ、幸せな家庭生活を送っていた亮子たちでしたが、明治11年(1878年)に宗光が逮捕されてしまいます。

容疑は政府転覆活動の共謀、明治10年(1877年)に西郷隆盛(さいごう たかもり)らが起こした西南戦争に加勢するべく活動していた土佐派の不平士族(林有造、大江卓ら)と密通していたことが発覚したのです。

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