美しすぎる横顔…明治時代「社交界の華」として活躍した陸奥亮子の苦難と夫婦愛 (5/7ページ)
かくして明治15年(1882年)に出獄した宗光ですが、伊藤博文(いとう ひろぶみ)の勧めで明治16年(1883年)から明治19年(1886年)にかけてヨーロッパへ留学することになりました。
「失うにはもったいない逸材じゃからのぅ」宗光にヨーロッパ留学を薦めた伊藤博文。Wikipediaより
「西欧の実情を見れば、君も彼らに学ぶところ大と解るであろう」
帰って来たと思ったらまた出て行った……亮子の嘆息は察してあまりあるものの、これもまぁ成長の糧……快く送り出すのが妻の務めと心得て、健気に家庭を守り続けます。
この時もまた、夫婦でたくさんの手紙をやりとりしたことは言うまでもありません。
社交界の華となるも……さて、ヨーロッパ留学から宗光が帰国、政界に復帰すると、亮子夫婦は社交界デビューを果たします。
当時、伊藤博文や井上馨(いのうえ かおる)らは日本の欧米化を進めることが不平等条約を改正できる有効な手立てと考え、その一環として建設された鹿鳴館(ろくめいかん)に日本の紳士淑女を集めたのです。