美しすぎる横顔…明治時代「社交界の華」として活躍した陸奥亮子の苦難と夫婦愛 (1/7ページ)

Japaaan

美しすぎる横顔…明治時代「社交界の華」として活躍した陸奥亮子の苦難と夫婦愛

幕末・明治の写真を見ていると、現代のセンスに照らしても美しい女性がたくさん登場してきます。

ただ、女性についてはその多くが名前も記録されていないことが多く、男性に比べて「あぁ、美しいね。誰だかは知らないけど」で終わってしまいがち。

詳細不明の美女。彼女はどんな人生を歩んだのだろうか

せっかく美しいのに、それではもったいない。せめて分かる方だけでも、調べて紹介したいと思います。

今回のヒロインは「鹿鳴館の華」と謳われた陸奥亮子(むつ りょうこ)。彼女はどのような生涯をたどったのか、さっそく見ていきましょう。

幕末維新の志士・陸奥宗光と結婚

陸奥亮子(以下、亮子)は江戸時代末期の安政3年(1856年)11月、旗本・金田蔀(かねだ しとみ)の庶子として江戸に生まれました。

庶子とは正妻でない女性(側室、妾、愛人など)が産んだ私生児で、正妻が産んだ嫡子(ちゃくし)に比べて立場が弱いことがほとんど。

幼い頃から美貌で知られた亮子は正妻から妬まれたのか、明治の初め(明治元・1868年~明治4・1871年)になると、13~16歳で東京府新橋・柏屋の芸者に出されてしまいます。

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