日本から城が消えた理由。江戸時代に3,000あった天守城郭が僅か「12」に激減【後編】 (2/4ページ)

Japaaan

日本の現存天守として最北端にある「弘前城」(Wikipediaより)

このような有志たちの行動をきっかけとして、政府は1919年(大正8年)に「史蹟名勝天然紀念物保存法」を公布。城郭の法的保護が実現する

昭和に現存した天守は20基

1929年には「国宝保存法」が施行され、上述のような有志たちの行動や法律の整備により、元号が昭和となった日本には20基の天守が残存した。

しかし、日本ではその後海外との戦火が拡大。第二次世界大戦では国内の被害も大きく、現存した20基の天守も被害を受ける。1945年には水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城・広島城の7城の天守が喪失。1949年には火災によって松前城の天守が喪失した。

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