「鬼」になり切れなかった大久保利通の悲哀。西南戦争に西郷隆盛はどこまで関与した? (5/5ページ)

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大久保利通

惜しむらくは、西郷隆盛が本当はどんな人物で、何を考えて行動したのかが現代では分かりにくくなっている点ですね。

さらに惜しいことに、西郷の死後、大久保はこの幼なじみの伝記を自ら執筆する予定だったそうです。そうでなければ「西郷は後世に誤って伝えられる」と危惧していたとか。

その執筆のための準備も整っていたのですが、明治11年の5月14日、かの紀尾井坂で彼は暗殺されます。最期まで西郷からの手紙を肌身離さずしまっており、それは大久保の懐で血に染まっていたといいます。

参考資料
倉山満『日本史上最高の英雄 大久保利通』

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