井上円了が哲学を学ぶ為の「哲学館(現 東洋大学)」を創立した理由 (2/3ページ)
■井上円了「哲学館」を建てる
「妖怪博士」として知られる井上円了(1858〜1919)は1887年(明治20)若干29歳で医学でも物理でもなく政治経済でもない、哲学を中心に学問を学ぶための私学校「哲学館」を創立した。後の東洋大学である。哲学館とは大胆な名称である。哲学を専門に学ぶための私学とは何なのか。欧州では「諸学の王」であり、「大学」の概念が欧州由来のものである以上、欧米の模倣、吸収に躍起になっていた日本の帝国大学には哲学科がある。しかし欧米に追いつかんとがむしゃらになっていた明治日本にとって哲学などは大学としての箔付けであり、一部の浮世離れした学生が学んでいればよかった。そこまで言わなくとも、哲学という不要不急の学問をあえて学ぶ学校を民間に作る必要はなかったはずである。しかし円了は「哲学は中央政府、理学は地方政府」とまで言い、哲学こそ学問の基礎であり中心であると考えた。その哲学を帝大以外では学べないとはいかなるものか。大学、学問は庶民には手の届かない世界であった。帝大に入学できるのは一部のエリートである。円了は哲学館設立の主旨として「晩学ニシテ速成を求ムル者」「貧困ニシテ大学ニ入ルコト能ハザル者 」「洋語を解セザル者」に哲学諸科を教授する為であると述べている。高年齢、貧困、語学力不足、それでも知的好奇心に富み学ぶ意欲のある者。円了はこうした非エリートにも学問、それも自身が最も重要だと考える哲学への門戸を開放した。さらに翌年「哲学館講義録」という通信教育課程も設置している。家庭環境による学力格差が問題となっている現代において、円了の業績と熱意は注目されるべきである。
■学問としての哲学
哲学の意義は認めるとして、哲学が「学問」でなくてならないのかという疑問が生まれる。カントの「純粋理性批判」やハイデガーの「存在と時間」といった著名な哲学書は難書として有名だ。精密な論理や難解な専門用語が並ぶ哲学書は然るべき知識と論理的な思考がなければ読みこなせない。確かに系統的な教育は必要である。一方で村上春樹やヘミングウェイの小説を読んで感銘を受けたり人生について考えるのに勉強は必要ない。哲学も難解な勉強ではなく、自分の言葉で考え、語るものではない。