井上円了が哲学を学ぶ為の「哲学館(現 東洋大学)」を創立した理由 (1/3ページ)

心に残る家族葬

井上円了が哲学を学ぶ為の「哲学館(現 東洋大学)」を創立した理由

コロナ禍において、生活に直結しない芸能芸術などの文化は不要不急なものだとして厳しい状況に置かれている。学問・学術の分野なら人文系や純粋数学などが該当するだろうか。その中でも哲学と呼ばれる学問は「人は何故生まれたのか」「何のために生きるのか」「何故死ななければならないのか」などという不要不急の極みのような問いを、古代ギリシャから2500年間考え続けてきた。そんな哲学を専門に学ぶための学校が、現代以上に実学が必要だった明治の世に誕生した。

■不要不急の「諸学の王」

富国強兵、文明開化の明治時代にあって、日本における大学とは実学を学ぶ場であるべきだった。日本が技術に重きを置いた「工学部」を大学に設立した世界初の国であることは象徴的である。現代においても法学部と医学部が文・理における筆頭学部であり、文・理と言いつつ文学や理論物理学は世の中に資することのない「虚学」とされる。日本人がノーベル賞を受賞すると当然大きく報じられるが、直接社会の役に立つ化学、医学・生理学賞などに比べ、物理学賞となると決まって「それが何の役に立つのか」という声が挙がる。しかし人間とはそれだけだろうか。

「人は何故生まれたのか」「何のために生きるのか」「何故死ななければならないのか」このような哲学的な問いは、誰しも子供の頃に一度は考えたことがあるのではないだろうか。そして成長と共に忘れられてしまう。この類の問いには明確な答えなどなく、いくら考えても底がない。生活に何の役にも立たないこのような問いには、いつまでも陥らないように順応していくものである。それでも人として生きる限り避けては通れない問題でもある。考えることやめなかった一部の人たちは哲学者と呼ばれ、論理を駆使して哲学を学問として確立させた。哲学は学問において虚学ではあっても、異端や亜流ではない。学問の目的が万物の真理を追究するというのなら、生と死、存在の真理そのものに直接向き合う哲学はその基礎であり最上の学問ということになる。欧州において「諸学の王」とされ伝統的な大学に必ず哲学部が設置されているのは真理の追究故である。現代思想は絶対的真理の否定に走ったが、真理そのものを問題にしていることに変わりはない。

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