線香よりも竹刀の音を…近藤勇の志を継いだ明治時代の剣客・近藤勇五郎の遺言 (3/5ページ)

Japaaan

撥雲館跡地。Wikipediaより(撮影:立花左近氏)

「撥雲とは雲を払い去るの意……世に立ち込める暗雲を、鋭い太刀風で吹き払い、真に明るく治まる世の一助たらんことを期待しておる」

「ありがとうございます!」

かくして撥雲館は多摩地域を中心に最大3,000人の門弟を抱えるまでに成長し、明治16年(1833年)には長男の近藤久太郎(ひさたろう)も誕生。公私ともに充実した日々が察せられます。

妻や息子に先立たれ……

しかし、よいことばかりいつまでも続かぬもので、明治19年(1886年)6月28日、妻の瓊が25歳の若さで他界してしまいました。

妻に先立たれた寂しさをこらえ切れなかったか、勇五郎はやがて“たよ”と再婚しますが、姑のつねと折り合いが悪かったため、2年半ほどで離婚。

それでも夫婦生活を諦めきれない勇五郎は後に“かし”と再婚。三度目の正直か今度は折り合いがついたようで、次男の近藤新吉(しんきち。正行)を授かりました。

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