線香よりも竹刀の音を…近藤勇の志を継いだ明治時代の剣客・近藤勇五郎の遺言 (1/5ページ)
時は幕末、戊辰戦争(慶応4・1868年1月~明治2・1869年5月)に敗れて処刑された新選組局長・近藤勇(こんどう いさみ)。
多摩の百姓として生まれながら武士に憧れて剣客となり、仲間たちと京都へ上って大いに暴れ回った近藤たちの生涯は、今も人々の胸を打ちます。
時代に逆らい夢を追い、最期まで闘い抜いた近藤勇。Wikipediaより
今回はそんな近藤から剣統を受け継ぎ、明治以降の近代を生き抜いた剣客・近藤勇五郎(こんどう ゆうごろう。信休)の生涯をたどってみましょう。
近藤勇の遺志を継ぎ、天然理心流を再興近藤勇五郎は江戸時代末期の嘉永4年(1851年)12月2日、近藤勇の長兄である宮川音五郎(みやがわ おとごろう)の次男として武州上石原村(現:東京都調布市)に生まれます。
13歳となった文久3年(1863年)2月、叔父の近藤勇が浪士組に加入して京都へ出立する際に勇の一人娘である近藤瓊(たま)の許婚となりました。
「わしに何かあった時は、妻(つね)と娘を頼んだぞ」
「はい!」
近藤勇が第4代目宗家を務める天然理心流の第5代目継承者に指名された勇五郎は、彼らが後顧の憂いなく奉公できるよう大いに意気込んだことでしょうが、待っていたのは近藤勇の処刑。