線香よりも竹刀の音を…近藤勇の志を継いだ明治時代の剣客・近藤勇五郎の遺言 (4/5ページ)

Japaaan

男の子が二人もいれば将来は安泰……天然理心流の後継者として期待していた久太郎でしたが、日露戦争に出征して明治38年(1905年)に23歳という若さで戦病死してしまいます。

日露の激闘。Wikipediaより

「天然理心流の6代目を譲りたいと思っておったのに……そろそろ引退したいが、新吉はまだ幼すぎる……」

というわけで高弟の桜井金八(さくらい きんぱち。義祐)に第6代目宗家を襲名させ、天然理心流の剣統を受け渡したのでした。

晩年は日本の幕末期を知る者の一人として作家の子母澤寛(しもざわ かん)から取材を受けるなど往時の記憶を後世に伝え、昭和8年(1933年)2月23日に83歳でこの世を去ります。

その遺言は「俺が死んでも線香は要らない。ただ、竹刀の音だけは絶やさぬようにしてほしい」というもので、剣客らしい実に武骨な供養のリクエストでした。

天然理心流の宗家は第7代・近藤新吉、第8代・加藤伊助(かとう いすけ。修勇)……と受け継がれながら今日(第10代)に至ります。

終わりに

激動の幕末、時代に逆らって見果てぬ夢を追い続け、殉じていった近藤勇。

彼らが憧れた武士の世は遠く過ぎ去り、刀を帯びることもなくなった令和の現代ですが、その精神は剣術をはじめとする武道を通じて、人々に受け継がれています。

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