大阪都構想は幕末から?維新の元勲・大久保利通が計画していた幻の「大阪遷都」 (1/4ページ)
かつて(今でも?)大阪都構想などというスローガンが世間を賑わしたことがありましたが、そんな議論が幕末にもあったようです。
千年以上の歴史を誇る京都から大阪への遷都を提唱したのは、維新三傑の一人として名高い薩摩の元勲・大久保利通(おおくぼ としみち)。
今回はそんなエピソードを紹介したいと思います。
一度は決まった?大阪遷都だが……。時は幕末まっさかりの慶応4年(1868年)1月、新政府軍(薩摩閥)の重鎮であった大久保利通は、京都から大阪への遷都を主張しました。
「これからは日本国が海洋を通じて世界へと雄飛する時代。内陸に引きこもった京都よりも、瀬戸内海に面して水陸の交通に便利な大阪こそ、新たな首都にふさわしい!」
大久保の主張に、長州閥の木戸孝允(きど たかよし。桂小五郎)も賛成、新政府(≒薩長藩閥)の2トップが推進するのであれば……と、一度は大阪への遷都が内定します。
通貨を製造する造幣局や、新時代の科学技術を研究・教育する舎密局(せいみきょく)など、段階的に首都機能を移転していきますが、これに対して京都の公家たちが猛反対。