「心頭滅却すれば火もまた涼し」の由来とは?超有名なアノ戦国武将との関係 (3/3ページ)
彼の言ったことはシンプルで、「別に静かな山の中でなくても座禅はできる。熱いという心を滅すれば、火も自然に涼しくなる」という意味です。この言葉の起源が古い中国の詩であることは先述しましたが、その後、中国の仏教書『碧巌録』に禅問答の言葉として掲載されていました。だから快川もこのフレーズを覚えていたのでしょう。
有名なフレーズなので、誰しもどこかで一度は聞いたことがあると思います。しかし、これが戦国時代のこんな壮絶なシーンで口にされたものだとは、意外と知られていません。
そういえば、快川を殺した信長も、皆さんご存じの通り最期は本能寺で炎に囲まれます。その時、彼が明智光秀の謀反だと聞かされた時に口にした言葉は「是非に及ばず」だったと言います。
二人の言葉には奇妙に似通ったニュアンスが感じられます。戦国時代という、人の生き死にがごく身近な時代だったからこそ起きてしまったことは泰然自若として受け入れるしかない――。そんな諦めのようにも悟りの境地のようにも見える達観した境地がそこには感じられます。
参考資料
梶山健『臨終のことば 世界の名言』PHP文庫、1995年
臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺ホームページ「法話の窓 心頭滅却」
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