「心頭滅却すれば火もまた涼し」の由来とは?超有名なアノ戦国武将との関係 (1/3ページ)

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「心頭滅却すれば火もまた涼し」の由来とは?超有名なアノ戦国武将との関係

美濃国の禅僧・快川紹喜

禅宗の有名な言葉に「心頭滅却すれば火もまた涼し」というのがありますね。これはもともと中国の詩人が詠んだものだそうですが、日本では、ある禅僧がこれを口にしたことで、宗教的な格言として知れ渡っています。

この言葉を口にしたのは、臨済宗は妙心寺派の禅僧・快川紹喜(かいせん・じょうき)です。一体どのような経緯で、あの名言は生まれたのでしょうか。それには、誰でも知っている有名な戦国武将が関わっていました。

快川紹喜

もともと快川は美濃国の出身で、最初は妙心寺に住んでいましたが、その後は崇福寺の住職となりました。しかし当時の国主だった斎藤義龍との間で「永禄別伝の乱」と呼ばれる宗教上の混乱があり、一度は美濃を離れるなどしています。

その後、大きな転機が訪れたのは1564(永禄7)年のことでした。かの武田信玄に招かれて恵林寺に入寺し、武田家の相談役を務めたのです。

快川と武田家の関係

さらに快川は、故郷である美濃の斎藤氏と、武田家との間を取り持つ外交にも携わるなどし、信玄から重用されました。信玄は彼の人柄にほれ込み手厚く保護していたようで、快川はこの頃、二千人もの門下生を従えていたといいます。

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