戦国時代、嫉妬で毒殺されてしまった李氏朝鮮の名医・経東の悲劇 (3/5ページ)

Japaaan

同業者から妬まれ、鴆毒を盛られる

「先生、いつもありがとうございます」

「今度はウチの子供も診てやって下さいよ」

すっかり土佐国にも馴染んで人々の信頼と名声を勝ち取った経東でしたが、好事魔多しとはよく言ったもの、経東の成功を妬んだ同業者たちが、彼を亡きものにしようと企みます。

確かな診立てで評判を得た経東(イメージ)

「ご高名はかねがね伺っております。時に、朝鮮の先進的医学について先生にご指導いただきたいのですが……」

土佐の医師たちは上洛していた経東を京都伏見で接待し、そこで鴆(ちん)毒入りの料理を勧めました。

「……うっ!」

体調の異変に気づいた経東は、症状などから盛られたのが鴆毒と気づきます。

「こんな事もあろうかと……」

解毒剤を用意していた経東でしたが、服用しようとして考え直しました。

「いや、たとえ毒の難を逃れたところで、剣難は逃れられぬ」

何が何でも殺すつもりでしょうから、逃げ回った挙げ句なぶり殺しにされるくらいなら、いっそこの場で潔く死のうと覚悟します。

「そうとなれば、最早これに用はない」

医師たちに教えてやろうと持参していた医術書を懐中より取り出すと、中庭に出て火をつけました。

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