戦国時代、嫉妬で毒殺されてしまった李氏朝鮮の名医・経東の悲劇 (4/5ページ)

Japaaan

「万民の命を救う医術を伝授しようと思ったが、こんな仕打ちを受けたのだから、日本人に教えてなんかやるまいぞ」

こうして医術の秘伝書をすっかり焼き捨てると、間もなく鴆毒が回って息絶えたということです。

エピローグ

(前略)是程の毒をば、忽解する事はいと易し、されども今死せずんば、必刀刃の難遁るべからず、しかじ今死なんにはとて、懐中より四寸四方計りの一つの書籍を取出し、是萬民を救ふの書なりといへども、日本人に傳ふるは遺恨なりとて、火の中へ投入れ燒捨てゝ、其身も程なく死したりけり……(後略)

※『土佐物語』巻第十七「中歸朝の事 附 名醫經東が事」より

その後、長宗我部元親は病床に臥して慶長4年(1599年)に亡くなりますが、どんな名医の良薬も効果がなく

「あぁ、経東さえいてくれれば助かったかも知れないのに、邪な妬みによって天下の宝を失ってしまった……」

と後悔したと言われます。

長宗我部元親。経東がいれば助かったかも……Wikipediaより

(前略)あはれ親炙して是を学ばは、いかに醫工を和朝に傳へ殘すべきものを、邪なる妬故、無法の死を與へて、天下の寶を失ひけるこそうたてけれ。

「戦国時代、嫉妬で毒殺されてしまった李氏朝鮮の名医・経東の悲劇」のページです。デイリーニュースオンラインは、経東李氏朝鮮暗殺長宗我部元親戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る