曹洞宗の道元や浄土真宗の親鸞が故郷に帰って人生の幕を引いた理由 (3/4ページ)

心に残る家族葬

その後90歳で遷化するまで京都に残ったが、妻・恵信尼(1182~1268)は自身の故郷の越後(新潟)にいたという。京都で親鸞と20年近く過ごしたとも、元々帰京には同行しなかったとも言われている。親鸞が没した際に傍らにいたのは妻ではなく末娘の覚信尼(1224~1283)だった。恵信尼も恵信尼で望郷の念に駆られたのだろうか。


■国土と共にした「日本沈没」の地球物理学者

小松左京のベストセラー小説「日本沈没」の現代版ドラマが放送されている。ドラマ版がどのような終焉を迎えるのかはわからないが、原作における地球物理学者「田所博士」の最期は壮絶である。田所博士は日本沈没を予言した作品のキーマンだが、国土と運命を共にした。田所は「もっとたくさんの人に日本と共に死んでもらいたかった」などと言う。それどころか、日本人全員に日本列島と共に死んでくれと訴えたかったというのである。とんでもないことを言うと思われるがその心情は以下の通りであった。

「日本人というものは…この四つの島、この自然、この山や川、この森や草や生き物、町や村や、先人の住み残した遺跡と一体なんです。日本人と、富士山や、日本アルプスや、利根川や、足摺岬は、同じものなんです。このデリケートな自然が…島が…破壊され、消え失せてしまえば…もう、日本人というものはなくなるのです…」

「この島が死ぬとき、私が傍でみとってやらなければ……最後の最後まで、傍についていてやらなければ、いったい、誰がみとってやるのです?」(小松左京「日本沈没」)

田所の考えは正しいとは言い難い。しかしこのような発想は他の国では中々出てこないのではないか。小松自身がどのような思想を持っていたかは詳しくないが、田所に一定の理解を示す読者は少なくないと確信していたと思われる。小松はグローバルでは割り切れない故国、故郷に対する日本人の心性を究極の形で描いたのである。

■最期の風景

道元と親鸞が望郷の念に駆られたとしても否定はできない。むしろ理解できるものだ。彼らも日本の風土で育まれた人間だったのである。田所博士の心情も同意はせずとも理解はできる。

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