戦国時代で唯一落城しなかった最強要塞の城で起こった武将・石田三成との激闘 (2/3ページ)
1590年、北条家の支城であった「忍城」を石田三成が攻めています。三成率いる軍勢は約2~5万、対して忍城側はたったの2,000~3,000人。
圧勝かと思われた三成軍でしたが、川を横断して沼を超えたときには疲労困憊で、まともに城を攻めることができませんでした。
豊臣秀吉の水攻め作戦戦況が思わしくない三成のもとに、秀吉から「水攻めをしろ」との命が届きます。
というのも忍城は川に挟まれているため水を集めやすく、水攻めをするのに最適な環境だったのです。
そこで三成は周辺の庶民を金で買収し、4~5日の間に石田堤とよばれる堤防を作り上げます。
しかし想定したよりも忍城は沈まず、城が浮いているように見えたことから、のちに「浮城」とよばれるようになったという説もあるほど。
思いのほか沈まなかった忍城ですが、降りはじめた大雨のせいで水かさが増し、ピンチに陥ります。
大雨の影響で忍城ピンチ大雨で沈みはじめた「忍城」のピンチを救ったのが、映画「のぼうの城」の主人公のモデル「成田長親」で、忍城の城主・成田氏長の従兄弟でした。
農作業が好きで農民の手伝いするのですが、不器用でかえって邪魔をしてしまうことから「でくのぼう」や「のぼう様」とよばれていたようです。しかし、おおらかな人柄で人々からは愛されていました。
長親は敵にバレないよう堤防に穴をあけて水を掃こうと提案します。