減少傾向のお墓はそもそも庶民が求め檀家制度によって確立された (1/3ページ)

心に残る家族葬

減少傾向のお墓はそもそも庶民が求め檀家制度によって確立された

仏壇や神棚の無い家は増える一方であり、墓に対するこだわりを持たない人も多くなった。他方で環境問題などの高まりから自然葬や散骨普及しつつあり、これらには現代的なイメージがある。しかし本来は墓や仏壇こそ「自然」を超えて進化した文明の証とも言えるのである。

■檀家制度は悪か

新型コロナウイルスの新規感染者の減少傾向が続き(東京都2021年10月30日現在)規制が解除されたこともあり2年ぶりに帰省をした。まずは仏壇にご挨拶である。そこには両親はじめ縁のある人たちが変わらず自分たちを迎えてくれる。仏壇があり位牌があり遺影がある風景はあたかも死者たちの住居の感がある。この風景は江戸時代の檀家制度(寺請制度)を中心に確立されたものである。

檀家制度はとかく評判が悪い。庶民を政府の管理下に置いた制度、葬式仏教への堕落、現代に至るまでの寺院の既得権益の始まり、などといった印象がある。現代は信教の自由が叫ばれ、葬式離れや墓じまいが進んでいる。一方で神秘的な密教、般若心経や唯識などへの哲学的関心、マインドフルネスに関連したテーラワーダ仏教、スピリチュアルやパワースポットのブームなど。葬式商売と化したとされる伝統仏教への風当たりが非常に強い。檀家制度はその諸悪の根源という扱いを受けているように思われる。

■自然に帰すしかなかった庶民は墓を求めた

先日バラエティー番組で奈良県は古墳と共に生活しているという特集を組んでいた。古代の墓とはいえば古墳であるが、そこに葬られるのは貴族・豪族、一部の権力者に限られた。庶民はといえば山や河原に打ち捨てられていたのである。この時代、庶民は死ねば自然に帰すしかなかった。庶民にとって墓は遠い存在だったのである。鎌倉時代になりゴミのように捨てられた遺体を供養したのが、法然(1133〜1212)、栄西(1141〜1215)ら新仏教と呼ばれる一派の僧侶であり、叡尊(1201〜1290)、忍性(1217〜1303)ら旧仏教の改革派だった。「沙石集」「宝物集」など当時の説話集には、庶民が父母の遺体を懇ろに葬ることを望んでいたことや、鎌倉仏教の新しい流れの僧たちが彼らに葬送を行う話が数多く存在する。

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