「自分は何も信じられない人だった」川村元気が新作小説で「信仰」をテーマにした理由 (3/5ページ)
妻のことが信じられない、夫のことが信じられない、親が何を考えているのか分からない、子どもが何を考えているのか分からない……。そうした声に触れて、自分が書こうとしているテーマに時代が近寄ってきたように感じたんです。
――そうした状況は書き始めた物語に対して影響を与えたのでしょうか?
川村:エンディングには大きな影響を与えました。
主人公一家は通り魔事件で息子を失い、妻と娘が新興宗教に囚われ、坂道を転がるように事態が悪化していきます。そのまま、すごく嫌な終わり方をすることもできたと思いますが、どんでん返しを繰り返しながらあのエンディングになったということは、コロナ禍の中で僕自身が「何かを信じないと生きていけない」という気持ちになっていったからなのだと思います。
――「何かを信じないと生きていけない」という気持ちですか。
川村:そうです。それは裏返しに言えば「何も信じない」ということが幸せそうに見えなかったということなんです。
「自分は何も信じない。少しでも疑わしいものは信じない」という声に対して、「それで幸せになれますか?」と問いかけたときに、おそらくは何も言えなくなるでしょう。「信じない」というスタンスには幸福の答えがありません。
何を信じたいのか。信じるべきなのか。どうすれば信じられるようになるのか。その答えを求めて書いていくうちに、あの結末になっていったんです。
――信じることで幸せになれるという側面はあると思いますが、逆に信じすぎてしまうことにも危ない部分があるのではないかと思います。信仰が強くなればなるほど、逆にそれに縛られてしまう。そういった部分が特に第二篇で描かれている印象を受けました。
川村:第二篇は、とある神を信じ切った妻の目線で物語を書きました。その人から見た世界がどう見えるかが知りたかったからです。
確かに信じることは強さにつながるし、幸せにもつながるけれど、一方で排他的になっていくというところがありますよね。