裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】 (2/6ページ)

Japaaan

 金沢可重/Wikipediaより

戦後、可重が助命嘆願しますが、義父である慶隆を裏切った罪は重く、改易となります。その後は妻と離縁し、浪人となり慶長9年(1604)に亡くなりました。

長年の恨みから東軍を裏切った小野寺義道

2人目は小野寺義道です。

義道は出羽国(秋田県と山形県)出身の武将で、天正11年(1583)に家督を継ぎます。その後は、同じ出羽国の最上義光(もがみ-よしあき)と対峙。

 最上義光/Wikipediaより

武勇に優れつつも、知略に乏しかった義道は義光の策略の餌食に。慶長2年(1597)には小野寺領のほとんどを失いました。しかし、義光の元にいた義道の家臣によって領地奪還を果たしました。

慶長5年(1600)、義道は関ヶ原の戦い時には義光と東軍として、西軍の上杉景勝と慶長出羽合戦にて戦います。

「裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、関ヶ原の戦い戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る