裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】 (5/6ページ)

Japaaan

 石田三成/Wikipediaより

そこで長房は、夜に陣を抜け出し熱田に向かいます。少数で船を待ちましたが、待てど暮らせど船は来ませんでした。長房不在を知った宮部家の家臣たちは、継潤の家臣だった田中吉政と合流しました。

 田中吉政/Wikipediaより

船を発見できなかった長房は陣に帰るも、騒ぎを聞いた徳川家の者によって岡崎城で幽閉。戦後、長房は死罪を言い渡されます

しかし、吉政の助命嘆願により、領地没収後に吉政預かりとなりました。その後、南部利直に預けられ、寛永11年(1634)に亡くなりました。

西軍と内通により処分を受けた山川朝信

最後に紹介する人物は山川朝信です。

山川家は代々結城家に仕える重臣で、朝信は結城晴朝に仕えていました。関ヶ原の戦いでは、結城秀康に仕え東軍として戦いました。

「裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、関ヶ原の戦い戦国武将戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る