裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】 (4/6ページ)
利政が西軍になった理由は、石田三成に家族を人質に取られていたことと徳川家康に反発心があったことがあげられています。
関ヶ原の戦い後は所有していた能登国(石川県北部)を改易され、京都で過ごしました。慶長19年(1614)から起きた大坂の陣では、豊臣、徳川から誘いを受けるも拒否。中立を貫きました。
豊臣陣営に与しなかったことを家康は褒め、大名にすることを持ちかけられます。しかし、「大野治長の元で戦いたくなかっただけで、徳川の顔を立てたのでない」と伝え、これも拒否。その後、寛永10年(1633)に55歳で亡くなりました。
家臣を見捨てて寝返ろうとした宮部長房4人目は宮部長房(みやべ-ながふさ)です。
宮部継潤の嫡男として生まれた長房は、父ともに豊臣家に仕えていました。慶長5年(1600)の会津征伐では、東軍として従軍。しかし、石田三成が挙兵したことで西軍に味方するため反転し、熱田(現在の愛知県名古屋市)で船に乗って戻ることを決めます。