裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った武将たちのその後【東軍編】 (3/6ページ)
戦いの最中、義道は最上軍の苦戦と同じ東軍の伊達政宗が静観していたこと、義光への恨みがあったことから西軍へ寝返りました。
しかし、西軍が敗北したことで形勢逆転。義道は多大な犠牲を出しながら、撤退します。戦後には改易処分を受け、石見国(現在の島根県西部)へ流罪となりました。その地で坂崎氏、亀井氏に仕え、義道は正保2年(1645)に80歳で亡くなりました。
人質により西軍に味方した前田利政3人目は前田利政です。
前田利家の次男だった利政は、関ヶ原の戦いに赴く前に兄の前田利長と北陸の大聖寺城を攻略。しかし、一度金沢城へ退きます。金沢城から利長は出陣しますが、利政は動きませんでした。この時から利政は西軍に味方します。