大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で八嶋智人が演じる武田信義と言えば甲斐源氏…そのルーツをたどってみました (3/5ページ)

Japaaan

中央で繰り広げられた抗争(平治の乱)。『平時物語絵巻』より

三代にわたり貯えた実力をもって平家討伐に多大な貢献を果たしたものの、頼朝公や木曾義仲(きそ よしなか)と並び立つ源氏の棟梁と見なされたほどの強大さゆえ、頼朝公から危険視されてしまいます。

養和元年(1181年)には後白河法皇(ごしらかわほうおう)が信義に頼朝討伐の密命を下したとの風聞が流れたため「子々孫々、源家(頼朝公)に対して弓を引くことあるまじ」と起請文を書かされる屈辱を味わいました。

それだけでなく元暦元年(1184年)には嫡男の一条忠頼(いちじょう ただより)が鎌倉で暗殺されるなどして勢力を削がれ、頼朝公の盟友(源氏の棟梁)から鎌倉殿の御家人扱いに転落していきます。

それでも武田家は甲斐国の実力者として存続し、頼朝公が没して源氏嫡流(自称)が絶えた後もその命脈を保ったのでした。

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