大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で八嶋智人が演じる武田信義と言えば甲斐源氏…そのルーツをたどってみました (2/5ページ)

Japaaan

源義光。頼朝公の高祖父・八幡太郎源義家の弟に当たる。楊洲周延「日本歴史教訓画」より

天永元年(1110年)には嫡男の源清光(きよみつ)、さらに大治3年(1128年)には信義(龍光丸、勝千代)も生まれ、この地で成長しますが、大治5年(1130年)に在庁官人の大掾盛幹(だいじょう もりもと)と敵対。

抗争に敗れた義清・清光父子は地域の平和を乱す者として朝廷より勅勘(ちょっかん。天皇陛下のお怒り)をこうむり、天承元年(1131年)に甲斐国市川荘(現:山梨県西矢代郡)へ配流とされてしまいます(もちろん幼い信義も連れられます)。

しかし転んでもタダでは起きず、甲斐国でも勢力を築いた義清は長承2年(1133年)ごろ市川荘司に就任。文字通り荘園の司ですが、ここでは力づくで「ボス」の座に収まったと見るのが妥当でしょう。

常陸国で地域の平和を乱して怒られたのは抗争に敗れたからであり、地元の荒くれ者たちを従え、秩序を守ってくれるのであれば、朝廷としても文句はありません(or言えません)。

かくして久安5年(1149年)に義清が没した後も清光は甲斐国で勢力基盤を築き、保元の乱・平次の乱と言った中央の抗争から距離を置いていましたが、仁安3年(1168年)に清光が没し、信義の代になって治承4年(1180年)、頼朝公の挙兵に呼応。

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