譲り合いが過ぎる!兄に皇位を譲るため、自殺してしまった皇族・菟道稚郎子のエピソード (1/4ページ)
古来、君主の座には徳のある者がつくべきであり、より相応しい者が現れれば、すぐにでも譲るのが美徳とされてきました。
「あなたこそ皇位に相応しい。さぁ、臣下の礼をお受け下され」
しかしそこは有徳者ですから、権力の座に跳びつくような軽挙妄動には及ばず、慎ましく固辞するのがお約束。
「いえいえ、民のためなら地位を顧みぬほど民思いなあなたこそ、やはり皇位に相応しい……」
通常であれば、しばしそんなやりとりの末に「そこまでおっしゃるなら、僭越ながら……」と皇位を譲る/譲られるまでがテンプレートですが、中には本気の譲り合いが数年にも及んだ事例もあったと言います。
そこで今回は、仁徳天皇(にんとくてんのう。第16代)の異母弟である菟道稚郎子(うじの わきいらつこ)のエピソードを紹介。
タイトル通り、兄に皇位を譲りたいあまり自殺までしてしまったのですが、いったい何があったのでしょうか。
皇位を譲り合うこと3年間……菟道稚郎子は生年不詳、応神天皇(おうじんてんのう。第15代)と宮主宅媛(みやぬしやかひめ)の子として生まれました。
菟道とは宇治の古称であり、この一帯に所領を得るなど、何かしらのゆかりがあったものと考えられます。稚は「若(わ)き」ここでは若くして亡くなったことを示しています。