譲り合いが過ぎる!兄に皇位を譲るため、自殺してしまった皇族・菟道稚郎子のエピソード (2/4ページ)
同じ両親から生まれた妹の八田皇女(やたのひめみこ)、雌鳥皇女(めとりのひめみこ)は後に仁徳天皇を魅了する美貌であったことから、菟道稚郎子もさぞや美男子だったことでしょう。
幼い頃から利発だった菟道稚郎子は百済より渡来した学者の阿直岐(あちき)や王仁(わに)らにより英才教育を受け、将来を見込まれて応神天皇40年(309年)皇太子に立てられました。
翌年(応神天皇41・309年)に応神天皇が崩御され、菟道稚郎子がそのまま皇位を継承するかと思われましたが、異母兄の大山守皇子(おおやまもりのみこ)が皇位を奪取しようと兵を挙げます。
このままでは皇太子が危ない……逸早く情報をつかんだ大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。後の仁徳天皇)は皇太子にこれを知らせ、大山守皇子を返り討ちにしました。
宇治川を船で渡る際、渡し守に化けた菟道稚郎子が船をひっくり返し、敵をことごとく溺死させたそうです。
「あぁ、兄上のお陰で助かった。兄上のように賢い方が治めてこそ、国民は安心できるだろう。どうか私に代わって、皇位を継承していただきたい」
いきなりそんなことを言われても、大鷦鷯尊は戸惑ってしまいます。
「いやいや、そんなつもりで助けたのではない。