最期に漢字一字を遺すとしたら何を遺すか 沢庵和尚は何を遺したか (2/4ページ)

心に残る家族葬

この漬物が「沢庵」と呼ばれていることについては、沢庵が寛永6(1629)年、京都の臨済宗大徳寺派本山・大徳寺(だいとくじ、現・京都市北区)の人事問題に絡み、幕府と対立した、いわゆる「紫衣(しえ)事件」によって、出羽(でわ)国上山(かみのやま、現・山形県上山市)に流罪となった際、自ら考案し、食していた。それから3年後に許され、江戸に戻って世に広めた。そしてそれを、沢庵に絶大な信頼を寄せていた3代将軍・徳川家光(1604〜1651)が「沢庵漬け」と命名したため。または、後に茶人で建築家の小堀遠州(こぼりえんしゅう、1579〜1647)が設計したとされる、現在、東京都品川区北品川にある、家光が寛永16(1639)年に、沢庵のために建てた東海寺(とうかいじ)の大山(おおやま)墓地内の、直径約1m、高さ0.5mの楕円形の自然石でできた墓石が、漬物石に見えることから「沢庵」と呼ばれるようになったとも言われている。

■死の直前に門徒に九つの戒めを遺した沢庵和尚

禅や仏教ばかりでなく、書・和歌・茶道・剣道・兵法・医学など、さまざまな知識を有し、なおかつ先に述べた紫衣事件ではないが、自ら正しいと信じたことは、幕府に対しても臆せず異議申し立てを行う沢庵は、家光をはじめとして、茶人の千宗旦(せんのそうたん、1578〜1658)、剣術家の柳生宗矩(やぎゅうむねのり、1571〜1646)など、多くの著名人と親交を結んでいた。しかし、正保2(1645)年11月29日、沢庵は病に倒れた。そこで自らの死を前に、門弟たちに以下の戒めを遺している。

1.遺体を寺の裏山に埋めて、ただ土で覆ってくれ。
2.(追悼のため、特別に)お経を上げないでくれ。
3.仏事用の食事の場を設けないでくれ。
4.出家者からも在家の者からも、弔いのためのお金を受け取らないでくれ。
5.在家の者も僧侶たちも、着物や食事は普段のようにせよ。
6.(私のために)塔を建てたり、像を安置したりしないでくれ。
7.著名人に送られる特別な名前・諡号(しごう)を求めないでくれ。
8.木の位牌を、本山・大徳寺の祖堂(そどう、祖師を祀った堂)に納めないでくれ。
9.(私を顕彰するための)年譜や行状を作成しないでくれ。

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