「荘園」は大規模な脱税システムだった!?平安貴族はいかにして私腹を肥やしたのか (2/4ページ)

Japaaan

ここで優遇されていたのが、貴族や寺社でした。

さすがに、墾田永年私財法も「いくらでも土地を開拓していいよ」とは言っておらず、一定の制限を設けていました。しかし貴族や寺社は、農民よりも多くの土地を開墾していいことになっていたのです。とにかく開墾してしまえば、全てその土地は自分のものと言ってもいいほどの優遇ぶりでした。

そのため、貴族や寺社は農民を使って土地を開墾し、広大な土地を手に入れることで財を成します。この時に開墾された土地を「荘園」と呼ぶようになりました。

脱税、財政悪化、そして「武士」が誕生

この「荘園」には、単に貴族や寺社の広大な私有地というだけではなくもうひとつの意味がありました。大規模な「脱税」にも使われていたのです。

荘園にも課税されており、徴収するのは国から派遣された国司(こくし)の役目です。しかし、例えば藤原家の貴族などは国司よりも強大な権力を持っており、彼らが納税を拒否するともうどうしようもありません。

そこで他の荘園領主も、土地を貴族や寺社に寄贈するようになります。実質的に自分が管理している土地でも、形式的に貴族のものとしてしまえば税金は取られません。その上、貴族の名義のもとで仕事をした方が手当てももらえるので、当然みんなそうします。

こうして、脱税システムとしての荘園ばかりが増えていき、国有地はどんどん減っていきます。一説によると、もともと墾田永年私財法そのものが、藤原氏がこうした脱税システムを完成させるために提案したものだとも言われています。

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