「荘園」は大規模な脱税システムだった!?平安貴族はいかにして私腹を肥やしたのか (4/4ページ)
この支配形態を担うのが、後に鎌倉幕府を支えることになる「地頭」です。
このように、武士の時代になっても、何らかの権威や権力の傘の元でなんとか荘園制度は維持されていきました。しかし朝廷も幕府も力を失った戦国時代になると、平安貴族たちが脱税のために生み出したこの天才的なシステムも崩壊していきます。
こうして、武士の横領や農民の自立によって実効支配が進んだことで、荘園は目減りしていきます。そして豊臣秀吉による太閤検地でこの脱税システムの残滓は完全に否定され、終焉に至ったのです。
「荘園」は実は貴族や寺社による大規模な脱税システムでした。そのことを理解しておくと、鎌倉時代以降に武士が「土地」あるいは「領地」にやたらとこだわった理由や、豊臣秀吉が「太閤検地」を実施した理由もなんとなく見えてきますね。
参考資料
・誕生から崩壊まで一目で分かる「荘園」元塾講師が分かりやすく5分で解説 – Study-Z
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan