天は我らに味方せり!木曾義仲の軍勢を撃退した水島の合戦「鎌倉殿の13人」 (1/3ページ)

Japaaan

天は我らに味方せり!木曾義仲の軍勢を撃退した水島の合戦「鎌倉殿の13人」

おごれる平氏、久しからず……。

永きにわたる雌伏を経て、源頼朝(みなもとの よりとも)はじめ各地で源氏が挙兵。

信州の木曾義仲(きその よしなか)によって、平氏一門はとうとう京の都を追われてしまいました。

平氏の都落ち。『平家物語絵巻』より

しかし、このまま滅び去ってしまうかと言えばそうでもなく、果敢に抵抗を続けています。

そこで今回は迫り来る木曾勢を撃退した水島(みずしま)の合戦を紹介。衰えたりとは言え、かつて天下に号令した平氏の意地を見せつけられたことでしょう。

天を味方につけた平氏方の戦略

時は寿永2年(1183年)閏10月1日。義仲の命により都を立った木曾の大将・矢田判官代こと足利義清(あしかが よしきよ。義仲の叔父)らは7,000騎を率いて500艘の船に乗り込み、備中国水島(現:岡山県倉敷市)で平氏の軍勢と対峙しました。

木曾勢の顔ぶれは総大将の義清はじめ弟の足利蔵人義長(くろうど よしなが)、海野弥平四郎幸広(うんの やへいしろうゆきひろ)、高梨次郎高信(たかなし じろうたかのぶ)、仁科次郎盛家(にしな じろうもりいえ)と言った猛将揃い。

「天は我らに味方せり!木曾義仲の軍勢を撃退した水島の合戦「鎌倉殿の13人」」のページです。デイリーニュースオンラインは、高梨高信足利義長足利義清海野幸広平重衡カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る