京都の清水寺は征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建に深く関わった寺院だった【後編】 (3/5ページ)

Japaaan

(写真:Wikipedia)

賢心が音羽山中に観音霊場を開いた2年後の780年のある日、賢心と坂上田村麻呂が運命的な出会いを果たします。

この日、田村麻呂は妻の高子の病気平癒の薬となる鹿の生き血を求めて、鹿を捕えるために音羽山中で狩りを行っていました。音羽の滝で修業中であった賢心は、田村麻呂に対し、観音霊地での殺生を戒め、観世音菩薩の功徳を説いたのです。

賢心の教えに深い感銘を受けた田村麻呂は観音に帰依します。そして、後日、十一面千手観音菩薩を本尊とする堂宇を寄進し、音羽の滝の清らかさから、その寺を清水寺と名付けたとされます。

清水寺の本堂。正面に張り出した清水の舞台は余りにも有名。

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