日本人は昔から縁起をかつぐ…「鎌倉殿の13人」に登場する大江広元の姓、祖先は「大枝」だったのになぜ変えた? (2/3ページ)

Japaaan

大江音人。菊池容斎『前賢故実』より

歴史書『日本三大実録』によれば、音人は大柄で風格をたたえた顔立ちと飾り気のない性格で評判が高く、子孫の広元もそうだったのかも知れません。

高い政治能力と豊富な知識で頼りにされ、しばしば朝廷からアドバイスを求められたと言いますから、広元にも受け継がれたことでしょう。

さて、そんな「大枝」音人が改姓したのは貞観8年(866年)10月15日。キッカケは第56代・清和天皇の勧めによるものでした。

「そなたの活躍は素晴らしいものであるが、あまり枝(音人は分家でした)が大きすぎると、樹木の根幹(本家)が折れてしまって不吉である。一つ改めてはどうか」

畏れ多くも陛下の思し召しなれば……と承服した音人でしたが、この大枝の姓はこれまた畏れ多くも第50代・桓武天皇より延暦10年(791年)に賜った由緒あるもの。

その時の祖先は土師諸上(はじの もろがみ。音人の祖父)。大いに枝が栄えるように授かった姓を、全面的に変えてしまうのはちょっと忍びなく思いました。

「……よし!それでは読みをそのままにして、大『江』とするのはどうだ!」

確かに川(江)であればどれほど支流が大きくなっても本流と一体化する=共に栄えるので損なうことがありません。流れの下るにしたがって広がる様子が一族の明るい未来を象徴しています。

「ありがたき幸せ。

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