福岡市東区にあるニワトリを祀る香椎宮の鶏石神社を調べてみた (3/5ページ)

心に残る家族葬



■ニワトリと石の由来

その昔、香椎の浜に、どこからともなくニワトリがやってきて、百姓たちが丹精を込めて育てていた農作物を荒らし回っていた。それに業を煮やした百姓たちは、ニワトリを殺してしまおうと息巻いていた。そんな折、旅の僧が通りかかった。僧は、以下のように歌を詠み「ニワトリの罪を赦し、私に譲ってくれないか」と頼んだ。

「いにしへも 鶏の玉のむ ためしあり
罪をばなどか われにあたへぬ」

しかし百姓たちは僧の願いを聞き入れず、ニワトリを殺してしまった。死んでしまったニワトリの魂は、自分を庇ってくれた慈悲深い旅の僧に心から感謝し、たちまち石と化した。

(石亭執筆当時の)今では、ニワトリの形をした石を祠に安置して祀っている。このお社の周囲を調べると、小さなニワトリの形をした自然石を拾うことができるという。ただし残念ながら、私自身はいまだに、その「鶏化石」を見たことがない。

■ニワトリの卵や肉を食べることはなかったが

僧が歌に詠んだように、「大昔はニワトリの生卵を飲む風習があった」ようだが、前にも述べた通り、日本においてはニワトリの卵や肉を今のように食べることはなかった。それは天武天皇4(675)年に、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁じたことに始まる。そしてニワトリの卵を食べることについてだが、『日本霊異記』(平安時代初期成立)に、以下の説話が書かれている。

■日本霊異記に残るニワトリの説話

和泉国和泉郡下痛脚村(しもあなしむら、現・大阪府泉大津市)の青年が、因果応報を信じていなかったため、いつもニワトリの卵を煮て食べていた。そんな折、天平勝宝6(754)年の3月に、青年のもとに見知らぬ屈強な兵士が

訪ねてきた。兵士が言うには、「国の役人がお呼びである」と。兵士が腰に、冥界からの使者が携えているとされる4尺(約121cm)ほどの木札を負っているのも構わず、青年はその後について行った。その後、2人はおよそ2里半ば

(約10km)先の山直里(やまたえのさと。現・大阪府岸和田市)に着いた。あたりは一面の麦畑で、麦が丈高く伸びていた。兵士は突然、青年を麦畑に押し入れた。
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