調子に乗り敗者をなぶる徳川家康に猛反論!戦国武将・平塚久賀かく語りき (1/3ページ)

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調子に乗り敗者をなぶる徳川家康に猛反論!戦国武将・平塚久賀かく語りき

世に「水に落ちた犬は棒で叩け」などと言われるように、苦境にある者は何かとなぶられがちです。

どうせ反撃されまいと高をくくっているのでしょうが、中には毅然と反論する気骨者も少なくありません。

そこで今回は『名称言行録』より戦国武将・平塚久賀(ひらつか ひさよし)のエピソードを紹介。何人(それこそ天下人)であろうが、間違っているものは間違っているのです。

吝(しわ)い家康の仕官を断る

平塚久賀は生年不詳、三浦氏の末裔・平塚三郎入道無心(さぶろうにゅうどうむしん)の子として生まれます。

兄に猛将として名高い平塚孫九郎為広(まごくろう ためひろ)がおり、負けず劣らず大剛の者として知られた久賀に、徳川家康(とくがわ いえやす)からオファーが来ました。

しかし、同時期に石田三成(いしだ みつなり)からもオファーが来ており、久賀はどっちに仕官したものか考えます。

「内府(家康)殿はしわい(吝い)から、手柄を立てても褒美をケチられてしまうだろう」

それなら……ということで石田家に仕官した久賀は、越中守の名乗りを許されました。

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