調子に乗り敗者をなぶる徳川家康に猛反論!戦国武将・平塚久賀かく語りき (3/3ページ)

Japaaan

にもかかわらず他者を笑うなど滑稽千万ではないか!」

月岡芳年「関ヶ原勇士軍賞之図」より、徳川家康

「ぐぬぬ……」過去のトラウマ?を衝かれて歯がみする家康に、久賀の批判は止まりません。

「さらに内府殿は故太閤殿下(秀吉)の遺命に叛いて若君(秀頼)をないがしろにし、天地神明に誓ったはずの起請文を破ってもこれを恥とも思わない様子。まったく武士の風上にも置けぬわい!」

「おのれ、言わせておけば!」

今にも刀の柄に手をかけそうな家康でしたが、ここで斬り捨てては完全論破されたままになってしまいます。

そこで家康は怒りを堪えて久賀を解放。生かしておくことでかえって苦労させようと、遠回しな仕返しを図ったのでした。

終わりに

解放された久賀は消息を絶ち、一説には生き延びて慶長20年(1615年)大坂の陣で討死したとも言われます(為広の子・平塚為景と混同?)。

たとえ敗れたからと言って尊厳を損なわれ、なぶり者にされる筋合いはない。逆に勝ったからと言って、不義の振る舞いが許される訳ではない……久賀の毅然たる態度は、そんな道理を訴え続けているようです。

※参考文献:

岡谷繁実『名将言行録 現代語訳』講談社学術文庫、2013年6月

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