悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【前編】 (2/5ページ)

Japaaan

この弟がいなければ、晩年の忠勝の蛮行ももう少し少なくて済んだかも知れません。

この、厄病神と言っても差し支えない酒井忠重という人物がもたらした悪質なお家騒動について、前後編に分けて解説します。

酒井兄弟、出羽の地へ降り立つ

酒井家と、酒井忠重の関係について説明するには、そもそも酒井家が山形へやってきたところから説明する必要があります。

酒井家はもともと信州の松代にいましたが、それが山形へやってきたのは1622(元和8)年のことでした。

江戸幕府は、山形城主である最上義俊の領地を「藩内不統一」を理由に没収・分割しています。

そしてこのうち「庄内13万8千石」を兄の酒井忠勝に、そして「白岩8千石」を酒井忠重に統治させたのでした。ちなみにこの時同じく「左沢1万2千石」を与えられた酒井直次も、忠勝の弟です。兄弟であちこちを統治したことになります。

ところが、忠重は白岩の地で悪政を敷きます。百姓に対して米の押し売りや高利貸を行い、百姓の妻を城に召し出させては美醜で選んで留め置き、人馬を不当に徴発したり……。まさに悪行三昧です。

この暴政の結果、白岩では餓死者身売りに出された者が1,454人にも及びました。

現在の白岩地区の近くには、有名な「慈恩寺」がある

これに耐えかねた領民は、寛永10(1633)年に、「白岩状」「白岩目安」と呼ばれる非法23か条を記した訴状をもって江戸奉行所に直訴します。

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