悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【前編】 (1/5ページ)
名将の晩節
現在の山形県の、海側の地域は江戸時代は「庄内藩」でした。そこを納めていたのが酒井家で、その初代藩主は酒井忠勝(さかい・ただかつ)という大名です。
この人は徳川家光の右腕と評されるほど優秀な人物だったのですが、その足跡を辿るとだいぶ「晩節を汚した」感があります。
徳川家光からの信頼大!酒井忠勝(さかいただかつ)の知られざる逸話をご紹介何しろ、ボンクラの弟からもたらされるウソを信じて家臣を追放したり、あるいは死に追いやったりしています。彼によって命を失った者は300人にも及ぶと言われ、またその弟というのが、領地で悪政を敷いて民を飢え死にさせたとんでもない人物でした。
死に追いやられた300人中、忠勝によって直接手討ちにされた家臣は130人。その多くは女中などの女性や、身の回りの世話をする低い身分の人たちでした。
今回取り上げるのは、この忠勝の弟である酒井忠重(さかい・ただしげ)という人物です。
