悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【前編】 (3/5ページ)
しかし、兄の忠勝が幕府にかけ合ったと見られ、一揆を起こした農民側は敗訴し磔刑に処されました。ひどい話です。
ただ、5年後の1638(寛永15)年には忠重は領地を没収され、兄の忠勝がいる庄内藩に預けられました。
なんで5年も経ってから? という疑問が湧きますが、この前年には島原の乱が起きています。領民からの反発を招いた領主には、それなりの措置を取ることになったのでしょう。
ちなみに、忠重が去ったあとの白岩は幕府の直轄領となり、代官・小林十郎左衛門が後釜に据えられています。しかし悪政は相変わらずで、領民はその後も苦しめられました。
恩に仇なす弟さて、庄内藩で客分として生活し始めた忠重ですが、この時点で彼は兄の忠勝から二度に渡って助けられていることになります。一度目は農民の一揆の時に幕府に口利きをしてもらったこと、二度目はいわば身元引受人として忠重を引き受けてもらったことです。
ただこれは、見方を変えれば、忠勝がいかに弟に対して甘かったかということでもあります。
この身びいきが災厄をもたらします。居候の身にも関わらず、忠重は庄内藩の藩政にたびたび介入するようになりました。
もともと忠重は酒井家の家督を乗っ取る計画を立てていたと思われます。もともと彼には、庄内藩の寄合旗本だった弟の酒井了次(のりつぐ)を陥れて死に追いやった経歴があります。
まず忠重は、乗っ取りに向けて自分の息子を利用します。兄・忠勝の娘に、長男の忠広をめあわせて、将来的な庄内藩のお世継ぎにしようとしたのです。