悪行三昧の結果、餓死者や身売りが続出!庄内藩・酒井家の厄病神がもたらすお家騒動【前編】 (4/5ページ)
忠勝には当時既に20歳になっていた忠当(ただまさ)という息子がいたにも関わらず、です。
さてここで、酒井家の家臣の一人が忠重の企みに気付きました。その名は高力喜兵衛(こうりき・きへえ)といい、彼は忠勝の妹の子、つまり忠当の従兄弟にあたる人物でした。
彼はいわば「忠当擁護派」となり、忠重と対立する形になりました。
高力喜兵衛は、酒井忠重の力を削ぐために、忠当の義理の父親にあたる松平信綱(まつだいら・のぶつな)に書状を送り、忠重・忠勝の引き離しを計画しました。
しかしそれに気付いた忠重も策を練ります。彼は、高力喜兵衛の味方だった毛利長兵衛という人物を脅迫し、自分に従わせます。
そして毛利を使って、「高力喜兵衛は松平信綱と一緒になって、忠勝を隠居させようとしている」と嘘の告げ口をさせたのでした。
もちろんこれは真っ赤な嘘なのですが、この讒言に激怒した忠勝は、1646(正保3)年に、高力喜兵衛とその一族を酒井家から追放してしまったのです。そして、高力家一門やその関係者は追放・切腹に処されました。
後編では忠勝の死と、なおも宗家に迷惑をかけ続ける忠重の所業とその最期を説明します。