藤原秀衡と源義経を繋いだ男!金商人にして武士でもあった「金売吉次」とは? (3/4ページ)

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奥州藤原氏の繁栄と義経

藤原秀衡(出典:ウィキペディア)

当時の奥州藤原氏は、第三代当主・藤原秀衡のもとで最盛期を迎えていました。秀衡は中央政界での騒乱には関わらず、奥州の統治に専念。平泉を中心として、奥州の政治を束ねていました。

当時の平泉は人口10万人を抱え、京に次ぐ繁栄を誇った大都市でした。無量光院や毛越寺、中尊寺など大寺院が建設され、仏国土と称されるほど仏教文化が花開いた土地です。

奥州藤原氏は金や馬の生産によって豊かな財力を持ちながら、17万騎(誇張でしょうが)と称される強大な武士団を抱えていました。嘉応2(1170)年には、秀衡は従五位下・鎮守府将軍に叙任します。

朝廷から昇殿が許される殿上人(五位以上)と認められると同時に、東北地方における自治権を認められていました。

そんな中、金売吉次が京から源義経を連れて奥州平泉に下向してきます。当時の義経は出家先の鞍馬寺から脱走した身であり、いわば平家から追われる身でした。

匿えば問題となるのは目に見えています。しかし秀衡は義経を引き取って養育。平家から存在を隠し続け、平泉に住ませる道を選びました。

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