念仏者であった慧遠や空也、法然などの死を超えた反逆の系譜 (2/3ページ)
つまり空也は叡山や貴族から食い扶持を確保するだけしてとんずらしたのである。空也には民衆を救うための活動費として利用できるものは利用する強かさがあった。ただ盲目的に権力に反抗するだけの無垢な僧ではなかったのである。仏教を民衆のレベルに下げるべく尽力した空也にとって世俗の権力など眼中になかった。
■法然 専修念仏の祖
空也が念仏を主としながらも法華経なども併用していたのに対し、浄土宗開祖・法然(1133〜1212)は念仏のみを選び取った。身分や階級、罪人ですら念仏を唱えれば極楽浄土に往生できるという専修念仏の仏法である。法然の撒いた種は鎌倉新仏教という大輪の花を咲かせることになる。しかしこの教えは既存の仏教勢力をことごとく敵に回した。出家も修行もいらない、どんな人間でも救われるでは自分たちの存在を否定されたも同じであるし、特権階級のプライドも傷つけられた。さらに彼らを逆撫でするように他の宗派をあからさまに批判するなどの勝手な行為に走る弟子も現れた。結局法然と高弟らは流罪となった。流罪となった高弟の中には法然の教えをさらに先鋭化することになる浄土真宗開祖・親鸞(1173〜1262 )もいた。革新的過ぎる故に既存の権威・権力から迫害や弾圧を一身に受けながらも、法然がひたすら無名の民のために説いた専修念仏の教えは民衆の中に浸透していったのである。
■一向一揆
専修念仏。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えれば死後の極楽往生が約束される。彼ら念仏者にとって浮世は苦界だった。彼らの幸福は往生にこそある。為政者にとってこれほど恐ろしい存在はない。最も怖い者たち。それは死を恐れない者。一揆と呼ばれる農民たちの反乱の歴史において一向一揆の苛烈さは際立っている。法然の高弟、親鸞が創始した浄土真宗は「一向宗」とも呼ばれた。彼らが起こした反乱「一向一揆」では、一向衆徒が南無阿弥陀仏を叫びながら死兵と化して突入してくる。彼らを迎え撃つ側の恐怖は相当だったと思われる。その勢いは凄まじく、特に加賀の一向衆徒は守護・富樫政親を自害させ100年近くに渡る自治を実現した(1488)。日本史上初の「百姓ノ持タル国」である。戦国の覇王・織田信長にとっても最強の敵は一向宗であり、悽惨極まる戦いが展開された。