念仏者であった慧遠や空也、法然などの死を超えた反逆の系譜 (3/3ページ)

心に残る家族葬


その後、総本山たる本願寺は徳川家康の策謀により東西に分裂。独自の発展を遂げるが反逆の牙は抜かれた。そして江戸時代の泰平の中で「葬式仏教」として安寧を貪った。慧遠が否定した国家従属の道を歩んだのである。

■戦後の真宗(一向宗)

現在の東西本願寺を中心とする浄土真宗各派は大戦下における戦争協力に対する反省から、真宗は各派の温度差はあれ反戦反権力の姿勢を明言している。一方で国家に対して保守的な立場にいる神社本庁などとの関係は良好とはいえない。とはいえ、ややもすれば行き過ぎる姿勢も反逆の系譜を忘れた300年の反省から来ているとも考えられる。なお同じ念仏宗でも浄土宗はやや穏健的である。

■死を滅ぼした者たち

あの世に価値を置く浄土仏教は厭世的と言われ、受け身のイメージが強い。しかしこのように振り返ると、死を乗り越えた者の強さが伝わる。彼らにとってこの世の権威・権力など何も怖くなかった。念仏者にとって極楽往生の確信は「倫理以上に大安心の立脚地」(清沢満之)だった。しかし一向一揆などは教団の指導者層による煽動、強要(逆らえば地獄行き)の事実があり、イスラム過激派の自爆テロに似た狂気も見出だせる。彼らの暴挙もまた天国行きを確信しているからこそである。そうした負の一面もここで指摘しておきたい。その上で言えることは、時の権威・権力に反旗を翻した念仏者たちはキリスト教風に言えば「死を滅ぼした」者たちであった。

■参考資料

■芹川博通「国家と仏教-慧遠『沙門不敬王者論』とその周辺」『淑徳短期大学研究紀要』第43号 淑徳短期大学紀要委員会(2004)

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