記号化され隠される死 観念としてではなくリアルな死に思いを馳せる (2/3ページ)

心に残る家族葬



■死は記号ではない

いわゆる戦闘モノの漫画やアニメには理不尽に命を奪われる脇役が大勢いる。彼らの命は実に軽い。同情し難い悪の手先ならまだしも、例えば、主人公が敵地に潜入する際に仕留められる門番などは、敵方とはいえ単なる職務である。彼らにも名前があり故郷があり親があり友がありドラマがあったはずだ。しかし彼らに語るに足る人生はない。彼らの存在は物語を構成する単なる記号である。

私たちにとって彼らは、日々ニュースに流れる事件、事故、災害、戦争などで命を落とした人たちと同じである。私たちは映像から削られ、数値化された人命に対して鈍感になりすぎてはいないだろうか。リアルな命を物語の脇役に落とし込めていないだろうか。もちろんそのような想像をしていてはきりがないが、死の記号・数値化が死者からリアルな体温を奪っていることは心に留めておくべきだろう。

■リアルを見ない指導者

2022年2月24日、ロシア・プーチン大統領はウクライナ共和国に宣戦布告を行い侵攻を開始した。ロシアとウクライナの歴史は根深いものがあり、軽率な論評は控えるべきだろう。その上でどのような歴史があろうと、宣戦布告とは大量殺人命令に他ならない。大統領は攻撃目標は軍事施設に限るなどと言っているが、実際にそんなことは不可能であり多くの民間人が犠牲になっている。大統領府の快適な椅子に座っている者に死者の姿は映らない。戦争で傷つき死ぬのは兵士と民間人である。

ロシア正教会 モスクワ総主教 キリル1世はロシア軍の兵士に「選ばれた道の正しさについて疑いを持ってはならない」と鼓舞した。元々プーチンとつながりのある人物だが、ソ連時代の宗教弾圧を生き抜いた世代に属する彼にとっても「死」はリアルではないのだろうか。

旧ソビエト連邦を初め社会主義国家を生んだマルクス主義の根幹にはヘーゲル哲学がある。ヘーゲルは「歴史」「市民」といった抽象的観念的な姿で人間を捉えた。実存主義の祖・キルケゴールは、個の実存を無視したヘーゲルの観念論を批判した。キルケゴールは笑い、泣き、怒り、悩み、喜ぶ個人のリアルな存在に着目したのである。現代ロシアの聖俗両指導者はそのリアルを見失っているように思える。
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