川上未映子が『春のこわいもの』で書いた逃れられないオブセッション (3/5ページ)

新刊JP

今は美容整形そのものへの見方が変わってきているのも感じます。以前のように、後ろめたいものではなく、整形を重ねて自己変革を成し遂げた「サバイバー」を称えるような、共感や価値観も出てきています。そうやって美容整形への見方が変わってきている一方で、ルッキズムについて真剣に考えてみようという流れもあります。一見、このふたつは相反するようにみえるけれど、人の思いは複雑です。このままの自分でいられる強さを求める気持ち、でも人の目を気にしてしまう気持ち、どうしようもなくあこがれる思い、そこに流行だって、気分だって、からんできます。自分の不安定さや達成感や欲望がどこからくるのか、それにどう対処していけばいいのか。いろんなことが同時にあるんですよね。

――「今の自分への違和感」というところで、川上さんご自身が「自分は自分でいいんだ」と思えた瞬間がありましたら教えていただきたいです。

川上:わたしの場合は、若い時から働いてお金を稼がないといけなかったので、そういう自意識を育てる時間がなかったんですよね。14歳くらいから、年齢をごまかして工場で働いていました。春休み、夏休みとか、まとまった休みはぜんぶ。高校に入ってからは、ずっと働いています。

――中学生時代から働いていたとは…。当時はどんな子どもだったんですか?

川上:そこは今とおなじで、詩的なものが好きな少女でした。本当に、星を見て泣くようなところがあったんです、儚さと途方もなさを同時に感じて、でもいま、この胸にこみあげてるものを言葉にできない、みたいな(笑)いま思うと、ちょっと繊細な子どもではあったと思います。誕生日がくると「一歩死に近づくのに、どうしておめでとうって言うの?」と聞いたり、お母さんとかおばあちゃんが死ぬ前に自分が死にたいと思っているような子でした。世界の「初期設定」みたいなものを恐れてつづけていて、自分が何かにならないといけないとか、人に認められないといけないというようなことを考えたことはなかったように思います。

――読んでいると記憶が刺激されて、作品の内容と関係のあることもないことも含めて色々な思い出が浮かんでくる作品集でした。

「川上未映子が『春のこわいもの』で書いた逃れられないオブセッション」のページです。デイリーニュースオンラインは、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る