裏山にキツネ、門前には子供たち…鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』が伝える鎌倉殿の御所事情 (4/5ページ)
何も悪いことをしていないのに、ただ庭に迷い込んだ狐が死んだだけで罰を受けるとは、景能もやり切れない思いでしょう。
これは「特に裏づけはないけど、何かよからぬことをした結果として怪異が起きたのだろうから、とにかく身を慎むべし」という考えによるものです。
とにかく平安・鎌倉時代とは、そういう時代でした。
終わりに・のどかな鎌倉ちょっと怪異が続いたので、最後は狐じゃないけどほのぼのとしたエピソードで〆ましょう。
文治二年八月小十六日庚寅。午剋。西行上人退出。頻雖抑留。敢不拘之。二品以銀作猫。被宛贈物。上人乍拝領之。於門外与放遊嬰兒云々。是請重源上人約諾。東大寺料爲勸進沙金。赴奥州。以此便路。巡礼鶴岡云々。陸奥守秀衡入道者。上人一族也。
※『吾妻鏡』文治2年(1186年)8月16日条
鎌倉に滞在していた西行(さいぎょう)法師が御所から退出するシーン。
別れを惜しんだ頼朝が銀で作られた猫の置物を西行に贈ったところ、西行はそれを門前で遊んでいた子供たちにくれてやります。