裏山にキツネ、門前には子供たち…鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』が伝える鎌倉殿の御所事情 (3/5ページ)
(流石に「大天狗」は言い過ぎたかな……)ちょっと悪いと思っている?頼朝(イメージ)
……仍日本第一大天狗者。更非他者歟云々。
※『吾妻鏡』文治元年(1185年)11月15日条
そこで頼朝は鶴岡八幡宮別当の法眼円暁(ほうげんえんぎょう)を呼んで荒神供養を行わせたとのことでした。
大庭景能の庭先に狐の死骸が……文治四年十一月大十八日己酉。西風烈吹。雪降。今曉。於大庭平太景能宅庭。狐斃云々。依爲恠異以閇門云々。」……
※『吾妻鏡』文治4年(1188年)11月18日条
もう一つ。その日は西風が強く、雪が降っていたそうな。朝方、挙兵以来の長老である大庭平太景能(おおば へいたかげよし。景義)宅の庭に、狐が死んでいたそうです。
現代人なら「かわいそうに」と保健所に死体引き取りの連絡をするか、あるいは毛皮をとろうなんて手合いがいるかも知れませんね。
しかし頼朝はじめ平安時代の人々はこれも「怪異」として恐れ、大庭景能は閉門(門を閉ざして謹慎すること)を命じられます。