与えられるものが何もなくても人は人を幸せにできる 無財の七施 (3/3ページ)

心に残る家族葬

震災などの突発的な災害に対応することはあるものの、日常の貧困層などへの施しには積極的とはいえないと思われる。葬儀、法事などで多忙ということはあるかもしれないが、今後考えるべき問題だろう。

■無財の七施 「床座施」

「床座施」は席などを譲ること。電車やバスで病人、妊婦、お年寄りなどに席を譲る行為などはわかりやすい。これも自分が確保した、つまり限定的な所有物を他者に与える、施すことである。「身施」とは違うのかとの疑問もあるかと思うが、ある論文では、仏教は座席譲渡を単に他者のための離席行動とする以上に、「譲る」という精神性に重きを置いているからではないかと指摘し、その背景には仏教の重要な思想である「無執着」があり、「譲り合いの精神」こそ、床座施の本質ではないかと考察している(山本佑実/加藤久美子/菅村玄二「『無財の七施』にみる日本的な向社会的行動」『関西大学心理学研究』第5号 関西大学大学院心理学研究科(2014))

■時間も場所も問わない魂の行 無財の七施

「無財の七施」は日常生活のいつでもどこでもできる。特に絶望感が漂う病床や病室、避難場所などで最も不足しており、必要とされるのがこの七施ではないだろうか。そして決して「やってあげる」などとは思わず、ただひたすら人の幸せのために尽くすことが布施であることを忘れてはいけない。「無財の七施」は「悟り」や神秘体験のような劇的な宗教体験ではないかもしれないが、地道で厳しくも確実に魂を浄化させる「行」である。

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