与えられるものが何もなくても人は人を幸せにできる 無財の七施 (1/3ページ)

心に残る家族葬

与えられるものが何もなくても人は人を幸せにできる 無財の七施

生・老・病・死。仏教では生きることが苦であるとし、そこからの脱出「解脱」を説く。そのためには執着を捨て、長い出家生活を送らなくてはならない。しかし普通の民はそうはいかない。解脱とはいかなくても、現実に生活しているこの世が、少しでも楽しく優しさに満ちた世界になれば「苦」を滅ぼすこともできるかもしれない。それは自分を捨て、他者に与えられるものを与えることである。

■自らの執着を捨て他者に与える 布施

仏教の教えは「執着を捨てよ」に尽きる。物を持っているから失うことを恐れる。死が恐ろしいのも、生にしがみついているからである。まず捨てることが仏道の第一歩である。ただ捨てるだけでは自分が救われるだけで終わってしまう。他者に「与える」ことでその他者にも恩恵がもたらされる。自分への執着を捨て、他者に笑顔を見せることや譲り合うことで魂が磨かれ、安らぎを得ることができるという。

そのための方法が、仏になるための六つの行「六波羅蜜」のひとつで最初に説かれる行「布施」である。布施には物を与える「財施」、仏法を施す「法施」、寄り添って安心させる「無畏施」がある。

■物もお金もなくても布施はできる

しかし仏法など知らない、物もお金もない、寄り添うなんてできない。そんな何もない人たちに対して「雑宝蔵経」は与えるための財産や物がなくともできる施し「無財の七施」を説いている。この七施とは「和顔施」「眼施」「心施」「言辞施」「身施」「床座施」「房舎施」である。いずれも物がなくても人に施しを与えることができる善行である。「無財の七施」によって自己中心的に生きている人は自己を捨て、他者に安らぎを与えられる。そうした結果は心の底に蓄えられ(熏習)、魂が磨かれていくのである。

■無財の七施 「和顔施」

「和顔施」(和顔悦色施)は笑顔や穏やかな表情で人に接すること。これは他者に笑顔を与えることでもある。いつも笑顔を絶やさない人は周りの人を穏やかにさせる。「無財の七施」の中でも和顔施は秀逸である。笑顔を見せることが悟りにつながるというのだから。仏像は皆、微笑をたたえている。笑みは解脱の証でもあるのだ。

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